適応障害で毎日がつらくて仕事が続けられない…そんな人に読んでほしい
朝起きるのがつらい、職場に向かうと動悸がする、仕事中に涙が止まらなくなる――そんな日々が続いていませんか。「ただの疲れ」「自分の甘え」と思い込んで無理をしているうちに、心も体も限界を超えてしまうことがあります。適応障害は、特定のストレス要因に心がついていけず、強い不安や抑うつ状態に陥る心の病気です。しかしその症状は、外からは見えにくく、本人も「頑張らなければ」と無理を重ねてしまいがちです。このページでは、適応障害を経験した方の声をもとに、発症のきっかけから診断に至るまで、そして再出発のための選択肢についてご紹介します。心がつらいのは、あなたのせいではありません。まずは安心できる場所で、あなた自身の声に耳を傾けることから始めてみませんか。
適応障害と診断される前、職場で何が起きていたか
適応障害を発症するまでの過程には、職場環境との相性や人間関係、業務負担など、さまざまなストレス要因が存在しています。たとえば、突然の部署異動や上司とのコミュニケーションの難しさ、終わりの見えない残業など、日常的なプレッシャーの積み重ねが大きな負担となります。中でも、「自分だけがうまくいっていない」「みんなは普通にやれているのに」といった思考に陥ることで、孤立感や自己否定が強まってしまうケースも少なくありません。そうした環境の中で、「ただ疲れているだけ」と思い込みながら働き続けることで、心身に深刻な影響が出てしまうのです。職場でのストレスは決して軽くありません。無理に適応しようとするよりも、自分にとっての「安心できる働き方」を考えることが、今後の回復と再出発に大きく影響します。
我慢しすぎた結果、心も体も限界に近づいていた
仕事が忙しいのは当たり前、ストレスを感じるのは自分の責任――そんな思い込みが、自分の限界に気づくことを遅らせていました。上司の指示が曖昧でも「聞き返してはいけない」と考え、同僚からの言葉に傷ついても「気にしないようにしよう」と自分を抑え続けた結果、知らず知らずのうちに心が摩耗していったのです。家に帰っても気が休まらず、夜も眠れず、休日も仕事のことばかり考えてしまう。次第に食欲がなくなり、朝の通勤が苦痛で仕方なくなった頃には、すでに心と体は限界を迎えていました。それでも、「もっと頑張れば何とかなる」と思い込んで無理を続けたことが、適応障害という診断につながったのです。我慢を重ねることが美徳とされる場面もありますが、本当の意味で大切なのは「自分を守ること」だと、ようやく気づかされました。
「限界だった」と後から気づいた心と体の変化チェックリスト
当時は、自分の状態を客観的に見ることができませんでした。けれども今振り返ると、いくつものサインが出ていたことに気づきます。まず、睡眠の質が著しく悪化し、深夜に何度も目が覚めたり、朝起きても疲れが取れなかったりしました。食欲も減り、体重が急激に落ちた時期もありました。仕事中は集中力が続かず、些細なミスが増え、自分を責める回数も増えていきました。また、人との会話が面倒に感じたり、以前は楽しめていた趣味にも興味が持てなくなっていました。心が常に緊張している状態で、笑うことすら難しくなっていたのです。これらはすべて、心と体が「もう限界だ」と訴えていたサインでした。当時の自分がそれに気づき、立ち止まることができていれば――そんな思いが今も残ります。同じように感じている方がいたら、どうか早めに自分をいたわってください。あなたが壊れてしまう前に、助けを求めることは決して恥ずかしいことではありません。
時期 | 心の状態 | 体の変化 | 当時の自分の思考 | 今だからわかるサイン |
1ヶ月前 | やる気が出ない | 食欲が少し減る | 「ちょっと疲れてるだけ」 | 軽いうつ症状の始まりだったかも |
2週間前 | 仕事が頭から離れない | 寝つきが悪い | 「責任感がある証拠」 | 強いストレス反応の初期だった |
1週間前 | 感情が不安定 | 朝に動悸が出る | 「気持ちの問題だから頑張らないと」 | 無理に自分を叱咤していた |
数日前 | 涙が出て止まらない | 呼吸が浅くなる | 「もう限界かもしれない」 | 心身ともに完全な警告サインだった |
限界当日 | 頭が真っ白になる | 身体が動かない | 「もう無理。全部放り出したい」 | 即時の休養と支援が必要な状態だった |
通勤のたびに動悸がして、朝が来るのが怖かった
ある時期から、朝が来るのが怖くなりました。目が覚めると胸が苦しく、手足が冷たくなるような感覚に襲われ、布団の中で身動きが取れなくなることが増えていきました。出勤の支度をしようとしても、頭の中では「行かなきゃ」と思っているのに、身体が反応しない。通勤途中の電車では動悸が激しくなり、会社の最寄駅に着く頃には吐き気やめまいに襲われるようになっていました。仕事自体が嫌いなわけではなく、やりがいも感じていたはずなのに、職場に近づくことが恐怖になっていったのです。「また今日も誰かに否定されるのではないか」「失敗して怒られるのでは」と思うだけで、身体が拒絶反応を起こしていました。その苦しさが毎日続き、次第に「今日だけは休みたい」と思うようになり、やがてそれが続いて会社に行けなくなっていきました。今振り返ると、あのときの心と体は明らかに助けを求めていたのだとわかります。
仕事は好きだったのに、職場の雰囲気に適応できなかった
本来であれば、自分の仕事には誇りややりがいを感じていました。任される業務の内容に興味があり、成果が出たときには達成感もありました。けれども、その環境の中で働き続けることができなかったのは、職場の雰囲気にどうしてもなじめなかったからです。たとえば、常にピリピリとした空気が流れ、誰かがミスをすればすぐに責任追及が始まるような風土。相談しようとしても「自分で考えろ」と突き放されるような対応。そして、陰口や派閥のような人間関係。仕事への熱意はあっても、その中で自分を保ち続けることができませんでした。無理に周囲に合わせようとすればするほど、自分を見失い、心が疲弊していく感覚が日に日に強くなっていきました。「能力の問題ではなく、環境の問題だったのかもしれない」と気づくまでに、かなりの時間がかかりました。
仕事は好きだったけど、職場に合わなかったと気づいた瞬間のまとめ
「この仕事が嫌いなわけじゃないのに、どうしてこんなにつらいのだろう」。そんな疑問を抱えながら働いていた日々。次第に、自分が苦しんでいたのは「仕事内容」ではなく、「その仕事をする環境」にあったのだと気づくようになりました。評価されにくい文化、対話のない職場、過剰な競争、息が詰まるようなルール――それらが少しずつ心を蝕んでいたのです。適応障害と診断されたあと、あらためて自分の働き方や人間関係を見直す中で、「職場が合わなかっただけ」というシンプルな答えにたどり着きました。それは決して逃げではなく、自分にとって本当に大切なものを守るための視点の変化でした。職場に適応できない自分を責めるのではなく、「自分が心地よく働ける環境とは何か」を見つめ直すことが、次の一歩につながっていきました。どんなに仕事が好きでも、その仕事を続けるには「安心して働ける環境」が必要なのだと、痛感した出来事でした。
好きだったこと | 職場でつらかったこと | 最初に出た違和感 | 続けて気づいたズレ | 最終的に感じたこと |
お客さんとのやりとりが楽しかった | 上司の言葉がきつくて萎縮した | チームに意見が言いづらかった | 「正論」が強すぎる文化に疲れた | 仕事は好きでも、この空気の中じゃ無理だと思った |
商品やサービスに誇りを持てた | 雑談・昼休みのノリが合わなかった | 周囲のテンションについていけなかった | ずっと“浮いてる”感じがあった | 「合わない=悪い」じゃないと気づいた |
成果を出せたときは嬉しかった | 結果よりプロセス重視で窮屈だった | 褒められるより注意ばかりされていた | 成果が無視される空気に納得できなかった | 「このやり方じゃ自分が潰れる」と限界を感じた |
「空気を読む」のが当たり前な環境が、どんどん苦しくなった
職場ではいつも「空気を読め」と言われていました。言葉にしなくても察する、周囲の期待に応える、上司の機嫌を伺う――それができる人が評価される環境でした。最初はそれに合わせようと努力していましたが、次第にその「察すること」自体が大きなストレスになっていきました。自分の気持ちを抑えてまで周囲に気を配り続ける毎日は、まるで仮面をかぶって生きているようでした。何かを言えば「空気が読めない」と言われ、沈黙していれば「やる気がない」と受け取られる。そんな理不尽な状況の中で、自分が何を感じているのかさえわからなくなっていきました。「気を遣うこと」と「我慢し続けること」の境界が曖昧になり、気づけば心が疲れ切っていました。空気を読むことが当たり前な文化に、自分の感情や考えを押し殺していたことが、適応障害の原因のひとつだったのだと今では思います。
仕事を辞めるという決断と、その後の生活
仕事を辞める決断は、簡単なものではありませんでした。「今辞めたら終わりなのでは」「この先どうやって生きていけばいいのか」そんな不安が頭を離れず、何度も気持ちが揺れました。それでも、自分の体調や心の状態を正直に見つめたとき、「このまま働き続けたら、自分が壊れてしまう」と強く感じたのです。退職を選んだのは、何もかもを諦めたからではなく、自分自身を守るための一歩でした。辞めた直後は、社会とのつながりが断たれたような孤独を感じることもありましたが、少しずつ時間が経つにつれて、「ようやく息ができるようになった」と感じる瞬間も増えていきました。そして、静かな生活の中で、自分が何に疲れ、何を大切にしたいのかを考える余裕も生まれてきました。退職は終わりではなく、回復と再出発のための準備期間なのだと、次第に思えるようになったのです。
「辞める=逃げ」じゃなかった。自分を守るための選択だった
退職を決断したとき、まず浮かんだのは「負けた気がする」という感情でした。長年、「働き続けること=正義」「辞めること=逃げ」と信じていたからこそ、葛藤は大きかったのです。しかし、心療内科の医師やカウンセラー、家族との会話を通じて、「働くことだけが人生じゃない」「壊れてまで続ける必要はない」と少しずつ考え方が変わっていきました。特に、同じような経験をした人たちの声に触れることで、「辞めた後に回復して、自分に合った働き方を見つけた」という現実を知り、大きな安心を得ることができました。辞めることは、むしろ「勇気ある選択」であり、自分を守るための行動だったと今ははっきり言えます。退職は恥ではなく、もう一度人生を整え直すためのスタート地点だったのです。
「辞める=逃げ」ではなかったと気づけたきっかけの記録
「辞めた自分には価値がない」と感じていた日々のなかで、少しずつ心が軽くなったきっかけは、小さな日常の変化に気づけるようになったことでした。朝、自然に目が覚めたこと。誰かと話して笑えたこと。一人で散歩に出かけられたこと。そんな些細な出来事が、自分が少しずつ回復している証でした。さらに、就労移行支援事業所に足を運んだとき、「あなたのペースで大丈夫ですよ」と言われたその一言が、心に深く響きました。そこで出会った人たちは、同じように働くことに悩み、模索している仲間であり、「辞めた過去」を責める人は一人もいませんでした。その経験を通じて、「辞めることは間違いじゃなかった」「むしろ、ここからまた始めればいい」と思えるようになりました。自分を守るための選択が、次の一歩を踏み出す力に変わっていったのです。
タイミング | 当時の自分の気持ち | 周囲の言葉・反応 | その後の心の変化 | 今感じていること |
退職を決めた直後 | 「自分は弱いのかも…」と落ち込んだ | 「よく決断したね」と言ってくれる人もいた | まずは休もう、という気持ちに切り替えられた | 逃げたんじゃなく、“守った”んだと今なら思える |
休み始めて数日後 | 罪悪感が強くて、時間の使い方に迷っていた | 誰も責めてこない現実に少し救われた | 朝に動悸が減り、安心して眠れるようになった | まずは「心を休める」って本当に大事だった |
支援制度を調べ始めた頃 | 「やっぱり働かないと…」と焦りが戻った | 「焦らなくていい」と支援員の言葉に救われた | “不安”を口に出せるようになった | 環境が整えば、働く気持ちは自然に湧いてくる |
最初は不安ばかりだったけど、少しずつ気持ちが落ち着いてきた
退職を決断したときは、心身が限界を迎えていたにもかかわらず、頭の中は不安でいっぱいでした。「本当にこれで良かったのか」「これからどう生きていけばいいのか」と、答えの出ない問いばかりが浮かび、何も手につかない日が続きました。社会から取り残されたような感覚に襲われ、自分だけが止まってしまったように感じたのです。しかし、毎日をゆっくりと過ごす中で、少しずつ「今は休んでいいんだ」と思えるようになりました。朝に目覚めて、天気の変化に気づいたり、温かいご飯を食べたり、誰かとたわいもない話をしたり――そんな日常の中で、ほんの少しずつですが、気持ちが和らいでいったのです。焦らず、自分のペースで過ごす時間が心の回復につながり、「また働きたい」と思える余裕も、少しずつ戻ってきました。不安を抱えながらも、その中で自分なりの安定を取り戻すことができたことは、大きな意味のある時間だったと今では感じています。
退職後に利用したサポート制度や支援サービス
退職後、まず直面したのは「どうやって生活を維持するか」「次に何をすればいいか」という現実的な課題でした。そこで活用したのが、行政の福祉制度と、精神的な支援を含む就労移行支援サービスです。まず、精神疾患による休職や退職の場合、条件を満たせば傷病手当金や障害年金の申請が可能です。特に傷病手当金は、退職後の一定期間、収入のない不安を少しでも和らげてくれました。また、精神科医やカウンセラーの定期的なフォローによって、自分の状態を客観的に把握できるようになり、心の安定にもつながりました。
そして何よりも大きかったのは、就労移行支援事業所の存在です。「manaby」「LITALICOワークス」「キズキビジネスカレッジ」「ミラトレ」など、うつ病や適応障害などの精神的困難を抱える人の再就職を支援してくれるサービスが全国に展開されています。これらの事業所では、自分の状態や希望に合わせて、PCスキルの習得や面接練習、職場実習などを受けることができます。また、スタッフとの対話を通じて、自分の「得意・不得意」や「働き方の希望」を整理することができ、ただ就職するためではなく、「長く働き続けるための準備」ができる環境が整っています。こうした支援を受けたことで、焦らずに社会復帰を目指すことができました。サポートを受けることは、甘えでも遠回りでもなく、「自分らしく働くための正しい選択」だったのだと、今でははっきり言えます。
支援制度は個人の状況や地域によって異なる部分もあるため、まずは公的機関の正確な情報を確認するのがおすすめです。
退職後に実際に使って助けられたサポート制度一覧
支援内容 | 活用したサービス | どんな人におすすめか | 受けてよかった点 | 注意点・ポイント |
金銭的サポート | 傷病手当金 | 会社員で休職中・退職直後の人 | 給与の約2/3が支給され安心できた | 医師の診断書と会社の書類が必要なので準備は早めに |
再就職支援 | 就労移行支援 | 働きたいけど体調に不安がある人 | 実際の職場体験やサポートが心強かった | 利用には障害者手帳か診断書が必要 |
情報・制度相談 | ハローワークの専門窓口 | 公的制度を調べたい人 | 担当者に聞けて不安が減った | 担当者によって対応に差があるため相性も大事 |
精神面のケア | 心療内科・カウンセリング | 話すことで気持ちを整理したい人 | 「どうしてつらいのか」を一緒に考えてもらえた | カウンセリングは保険外もあるので費用確認を |
就労移行支援、傷病手当金、心療内科との併用が心の支えに
退職後の不安定な生活の中で、私を支えてくれたのは、複数の制度や支援を「組み合わせて使う」という考え方でした。まず、経済的な不安をやわらげるために申請したのが傷病手当金でした。退職前の会社で健康保険に加入していたこともあり、一定期間の生活費の補填ができたことは、精神的にも非常に大きな安心材料となりました。そして、通院していた心療内科では、薬の調整やカウンセリングを通して、症状の波をコントロールしながら少しずつ安定を取り戻していきました。特に、医師の「今は休むことが仕事です」という言葉は、張り詰めていた気持ちを和らげてくれました。
さらに、回復が進んできた頃に利用し始めたのが就労移行支援事業所です。「自分に何ができるのか」「どんな職場が合っているのか」といったことを、プロのスタッフと一緒に考えることができ、孤独感や焦りが軽減されました。生活・医療・就労の三つを支える仕組みをバランスよく取り入れたことで、ただ回復を待つのではなく、「整える」「備える」日々に変えていけたのです。複数のサポートを併用することは、自分の状況に合わせた形で前に進むための、大きな後ろ盾になりました。
「また働きたい」と思えるようになるまでにやったこと
うつ病や適応障害を経験したあと、「もう一度働こう」と思うには、それなりの時間と心の準備が必要です。無理をしない、焦らない、でも前に進みたい――その気持ちを少しずつ形にするためには、周囲の理解と、自分の歩調に合ったステップが欠かせません。就労移行支援のサポートや通院による回復を土台に、自分にとって「できそうなこと」から挑戦していく日々は、失っていた自信を取り戻すためのプロセスでもありました。再就職を目標にしながらも、「今できることに集中する」ことが、結果的にその目標に近づく確かな一歩になったのです。ここでは、そんな「また働きたい」と自然に思えるようになるまでの過程を振り返ります。
焦らず、自分のペースで「小さな挑戦」を繰り返した
一度心が折れてしまった後に、再び働くということは、簡単なことではありませんでした。何か行動を起こすにも不安が先に立ち、「失敗したらどうしよう」「また体調が崩れたら」といった思いにとらわれていました。だからこそ、大きな目標ではなく、「今日は午前中に散歩に出てみる」「支援員と雑談してみる」「1時間だけパソコン作業をしてみる」といった、小さな挑戦を積み重ねていくことを意識しました。自分の心と体が「大丈夫」と感じる範囲で少しずつ負荷をかけていくこの取り組みは、毎日を丁寧に過ごすうえで大きな意味を持っていました。
周囲の支援者や仲間に褒められたり、共感されたりすることで、「これでいいんだ」と安心できるようになり、自分の中に少しずつ自信が芽生えてきました。失敗しても責められない環境だからこそ、安心して挑戦でき、また次の一歩へとつなげることができました。こうした「成功体験の積み重ね」は、心の回復と再出発において、非常に大切なプロセスだったと実感しています。
焦らず進めた“小さな挑戦”とその効果の積み重ね
毎日の生活のなかで、「ほんの少しだけ頑張ってみる」ことを続けていくうちに、自然と自分の変化に気づけるようになりました。たとえば、はじめは支援事業所へ通うだけで疲れ切っていたのが、数週間後にはグループワークにも参加できるようになり、他の利用者と笑顔で会話ができる日も増えていきました。「今日は調子がいいかも」と思える日が少しずつ増えていくことで、「働けるかもしれない」という気持ちが現実味を帯びてくるのです。
また、就労移行支援では就職活動に向けたトレーニングだけでなく、日常生活のリズムを整える取り組みもサポートしてくれたため、「生活の土台」を整えることがそのまま「働く力」につながっていく感覚がありました。「昨日よりも今日、今日よりも明日」と、過去の自分と比べるように意識していたことも、回復の足がかりとなりました。焦らず、小さな一歩を大切にすること。それが、もう一度社会に出るための確かな準備になっていったのです。
チャレンジしたこと | 最初の気持ち | やってみた感想 | 気づけた変化 | 続けるコツ |
朝決まった時間に起きる | 面倒だけどやらなきゃ… | 起きられた日はちょっと気分がいい | 生活リズムが整うと心も安定する | 無理せずアラーム1本から始める |
コンビニまで出かける | 外に出るのがちょっと怖い | 短時間なら大丈夫だと思えた | 外の空気を吸うだけでリフレッシュ | 時間帯は人の少ない朝が◎ |
スマホの通知をオフにする | 不安だけど試してみよう | 気が散らずに落ち着けた | 自分の時間を取り戻せた感覚 | 勇気を出してまず1日やってみる |
日記にひとこと書く | ネガティブなことしか出ない…? | 意外と書けた。気持ちの整理になる | 感情の波に名前がつくようになった | 書かない日があってもOKと決めておく |
通勤のリハビリ、趣味の復活、1日1つの予定から始めた
「また働きたい」と思えるようになったとはいえ、実際に外に出て働くことへの不安は簡単には消えませんでした。そこでまず始めたのが「通勤のリハビリ」でした。いきなり毎日通うのではなく、週に1~2回、電車に乗って支援事業所まで行く練習をしました。最初はドキドキしながらも、何度か繰り返すうちに少しずつ慣れていき、外出が「特別なこと」ではなく「日常の一部」になっていきました。あわせて、休職中に失っていた趣味を少しずつ再開し、自分の「好きなこと」に触れる時間も増やしました。たとえば、以前好きだった音楽を聴く、絵を描く、本を読むなど、自分の心を取り戻す感覚がありました。さらに、1日に1つだけ予定を入れるというルールをつくり、それをこなすことで「今日はこれだけで十分」と自分を認める習慣も身につけました。こうした行動はすべて、「また働く」という目標に向けた地道な準備でしたが、その一歩一歩が心身にとって確かな土台となっていきました。
理解ある職場との出会いで、自分を責めずに働けるように
かつての職場では、いつも「もっと頑張らなければ」「周りに迷惑をかけてはいけない」と自分を責めながら働いていました。しかし、就労移行支援事業所のサポートを通じて出会った“理解ある職場”では、まったく異なる働き方が待っていました。面接の段階から、「体調が不安定な日はどう対応されていますか?」「無理のない勤務時間を一緒に考えましょう」といった配慮のある言葉をかけてもらえたことが、まず大きな安心感につながりました。入社後も、定期的な面談や、業務量の調整といった柔軟な対応があり、「ここでは無理をしなくても受け入れてもらえる」という安心感の中で働くことができました。
このような環境で働く中で、不思議と「頑張らなきゃ」というプレッシャーではなく、「少しでも役に立ちたい」「自分のペースで力を発揮したい」と思えるようになっていきました。以前は「できない自分」を責めるばかりでしたが、今は「できることを大切にしよう」と思えるようになったのです。仕事への向き合い方だけでなく、自分への評価も変わり、「完璧じゃなくても大丈夫」「それでも社会の一員なんだ」と感じられるようになりました。
“理解ある職場”と出会って変わった自分の感じ方と行動
理解ある職場に出会ってから、最も変わったのは「働くこと」へのイメージでした。以前は、「働く=耐えること」「評価される=無理をすること」と思い込んでいましたが、新しい職場では「相談することが信頼につながる」「体調管理も仕事のうち」と考えてくれる人たちがそばにいました。その結果、何か困ったことがあっても自分の中だけで抱え込まずに話せるようになり、それによって業務が円滑に進むことも増えていきました。
また、自分の体調や気分の変化にも以前より敏感になり、「今日は無理せず休もう」「今日は少し頑張れるかも」といった自己調整が自然にできるようになりました。そうした自己理解と周囲との信頼関係の積み重ねが、長く安定して働くことにつながっていると感じています。無理をしない、でも前に進めている――その実感こそが、今の自分の大きな支えになっているのです。理解ある職場と出会うことは、単に働く場所が見つかるだけでなく、自分らしく生き直すきっかけになる。そう強く感じています。
前の職場で感じていたこと | 今の職場での対応 | 働き方の変化 | 気持ちの変化 | 続けられる理由 |
休みを言い出すのが怖かった | 体調優先で調整してもらえる | 自分のリズムで仕事ができる | 不安よりも「任せてもらえてる」と感じる | “人として見てもらえている”安心感 |
ミスを責められた | フォローが当たり前の文化 | ミスを恐れずに動けるようになった | 自分を否定しないで済むように | ミス=成長の一部と捉えてくれる |
同調圧力がつらかった | 一人ひとりの事情が尊重される | 無理せず自分のペースでできる | 他人と比べることが減った | 比較されないことが一番の心の余裕 |
頑張り続けることが正義だった | 休むのも働くのも“選んでいい”雰囲気 | 緊張しすぎず働ける | 仕事を「続けたい」と思えた | 働ける日を大事に思えるようになった |
“気を使わなくてもいい職場”があることを初めて知った
これまでの職場では、常に「気を使うこと」が当たり前でした。上司や同僚の顔色をうかがい、余計なことを言わないように配慮し、場の空気を乱さないように自分を押し殺してきました。けれど、それが積もり積もって心が疲れ果ててしまったことに、退職して初めて気づきました。「働くとは、こういうものなんだ」と思い込んでいたのです。しかし、就労移行支援事業所を通じて出会った企業の中には、「気を使いすぎなくてもいい」「自分のペースで働ける」と実感できる職場がありました。
たとえば、休憩を取るタイミングや作業の進め方について細かく指示されることなく、自分で判断できる環境。また、体調が不安なときは無理をせず報告できる体制、ちょっとした雑談が自然に交わせる雰囲気など、「安心していられる空気」があったのです。最初は戸惑いもありましたが、徐々に「ここでは無理に気を張らなくてもいい」と思えるようになり、それが大きな解放感につながりました。
“気を使わなくてもいい職場”は、決して特別な存在ではありません。ただ、自分に合った職場を選び、自分を受け入れてくれる環境を見つけることが必要なだけです。その存在を知ったことで、働くことが怖いものではなく、「もう一度チャレンジしてもいい」と思えるようになったのです。自分らしく、無理をしすぎずに働ける場所があるという事実は、何よりも心強い希望になりました。
働きずらさを感じている人におすすめの転職サービス
働きづらさを感じる人向け 転職支援サービス比較表
サービス名 | 主な対象 | 特徴 | サポート内容 | おすすめポイント |
dodaチャレンジ | 精神・発達・身体障害のある方 | 専任エージェントが就職先を提案 | 面談・求人紹介・面接対策 | 配慮がある職場に出会いやすい |
LITALICOワークス | 障害や病気のあるすべての方 | 働く前の“準備”に強い | 就労移行支援+就職サポート | 生活リズムやビジネスマナーから学べる |
ランスタッド | 一般転職希望者、障害者向け部門あり | グローバルな求人も多数 | キャリア面談・求人紹介 | 大手ならではの幅広い選択肢 |
atGP | 障害者手帳がある方中心 | 高品質の求人多数、エージェント制 | 履歴書添削・面接同行など | 面接同行や条件交渉まで任せられる安心感 |
ミラトレ | 精神障害・発達障害の方に特化 | 実践型の就労移行支援 | 職場体験・訓練+就活サポート | 「働く前に試せる」から不安が少ない |
dodaチャレンジ|職場環境とメンタルの両面でサポートしてくれる
→dodaチャレンジ アフィリリンクを貼る
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LITALICOワークス|適応障害でも働ける準備を一緒にしてくれる
→LITALICOワークス アフィリリンクを貼る
ランスタッド|無理のない働き方を重視する求人が探せる
→ランスタッド アフィリリンクを貼る
atGP|配慮ありの職場紹介で「また働こう」と思える支援
→atGP アフィリリンクを貼る
ミラトレ|体調や不安に合わせて社会復帰をサポートしてくれる
→ミラトレ アフィリリンクを貼る
【まとめ】適応障害 仕事 続けられない|働けない自分を責めないで
適応障害によって仕事を続けることが難しくなったとき、多くの人が「自分は弱いのではないか」「もう社会には戻れないのでは」と自分を責めてしまいます。しかし、適応障害は決してその人の性格や努力不足によって起こるものではなく、置かれた環境と心のバランスが崩れたときに誰にでも起こり得るものです。この記事では、無理を重ねた日々の中で体と心が限界を迎えた経験や、退職を決意したときの不安、それでも少しずつ前を向いて「また働きたい」と思えるようになるまでの過程をお伝えしました。
就労移行支援や傷病手当金、心療内科のサポートを受けながら、自分のペースで心を整えていくことが、再出発のための確かな土台になります。そして、理解ある職場との出会いは、「無理をしない働き方」が実際に存在することを教えてくれます。何より大切なのは、「働けない今の自分」を否定せず、必要なサポートを受けながら、自分らしく生きるための選択を重ねていくことです。適応障害を経験したあなたには、無理をしなくても安心して働ける未来がきっとあります。自分の心を大切にしながら、一歩ずつ進んでいってください。
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